起源と歴史

 セブンスデー・アドベンチスト教会の土台は、再臨信徒達の小さなグループによって据えられました。「キリストの聖所での奉仕」、「第七日安息日」、「健康改革」などに関する新しい光が彼らに与えられ、最終時代の必要を満たす素晴らしい真理が次第に明らかにされていきました。その基調をなす真理は、差し迫った「目に見えるキリストの再臨」でした。彼らはキリストが間もなくこの地上に来られることを固く信じ、あらゆる試練、困難、犠牲を喜んで忍耐しました。彼らは高い霊的標準を維持しましたが、それはキリストに間もなくお会いできるという生き生きとした望みによるものでした。

 この運動は成長し、進展していき、資産や信徒数も増加し、組織化されていきました。事実、この初期の再臨信徒たちは「特別な使命」をもった「特別な民」だったのです。

 しかし、キリストの再臨は遅れ、世代交代するにつれ使命の緊迫さと輝かしい望みは衰退してきました。世に次第に結びつくようになってきた教会に、神はホワイト姉妹を通して度々譴責と訓戒を与えられました。

 「多くの自称クリスチャンたちと世の人々との境界線はほとんどない。以前熱心だった多くの再臨信徒たちは、世の習慣、風習、利己心に従っている。世を神の律法に導く代わりに、教会はより密接に世の罪に結びついている。教会は日毎に世俗化している。」ー教会への証8巻118ページ

 この勧告は神の民に送られた多くのメッセージのなかのほんの一部です。しかし、これらの警告は無視されました。1888年の世界総会で「キリストわれらの義」という特別なメッセージが与えられましたが、この尊いメッセージも一部の個々人を除いては受け入れられませんでした。このようにして聖霊の感化に屈服することを拒んだ結果、神の戒めに服従するかしないかというテストが臨んだ時、必然的に公の背教へと陥ったのでした。警告のメッセージがより具体的になった数年後に、神の民に恐ろしいテストがあることが預言されています。

 「恐ろしいテストと試練が神の民を待ち構えている。戦争の精神が地の果てからかなたまでの国民を動揺させている。しかし近づきつつある悩みの只中にあって、―かつてなかった混乱の中で―神の選ばれた民はふるわれることなく、固くたつであろう。」教会への証9巻17ページ

 1914年以来、世界は大きな危機の中にあり、これは世の終わりまで続くことでしょう。そしてこの危機の中にあっても、だれが神の民であり、またどこが神の教会であるかが常に証しされているのです。

 神の民に対する試練とテストは、しばしば国家間の戦争によって起こり、神の戒めとキリストに忠誠を尽くすかどうかが証明されるのです。

 アドベンチストはすでにこのテストに直面していました。それは南北戦争という一国のレベルにおいてでした。その時、忠実な人々は戒めの第4条と第6条においてどんな立場をとるべきかを選ばなければなりませんでした。幸いなことに当時のアドベンチストはこの最初のテストを神の守りの下に適切に通り抜けることができました。 ジェームス・ホワイトは「国民」という題のもと、奴隷制度廃止を助けるため、軍に参加することを弁護しましたが、後に神は教会がとるべき正しい立場に関してホワイト姉妹によって、明確な理念が与えられました。

                                                  アメリカ南北戦争

                                                (1861年~1865年)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「神の特別な宝となる神の民は、信仰のあらゆる原則に逆らう複雑な戦争に加わることはできないことを私は示された。軍にあっては、真理に従いながら、上司の命令に従うことは不可能であり、良心に背き続けることになるであろう。世俗は世俗の原則によって支配されるため、戦争を正しく評価することはできない。世俗の政策と世論が彼らの行動の原則であるため、もっともらしい行動をとっているかのように導く。しかし、神の民はこのような動機に支配されることはできない。彼らの心に書かれている神の言葉と命令は、霊であり、命であって、それには彼らを屈服させ、服従させる力がある。エホバの十戒はすべての義と善の律法の基礎であり、神の戒めを愛する者は地のすべての良い法律に従う。しかし、統治者の要求が神の律法に反するなら、唯一なされるべき質問は神に従うべきか、それとも人に従うべきかである。」ー教会への証1巻361ページ

 南北戦争当時アメリカ政府はセブンスデー・アドベンチストに対し三つの選択肢を与えました。それは・・・

 1.病院での奉仕

 2.自由民(奴隷の身分から解放された人々)の世話

 3.300ドルの代替金

 1864年8月2日、セブンスデー・アドベンチスト世界総会執行部は「原則の声明」をミシガン州知事に提出しています。  

 「セブンスデー・アドベンチスト教団は、戦争の概念と共にそれに参加することは、聖書の教える信仰と行動の原則に明白に反するという立場をとるものである。それゆえに、私たちは、良心的に武器を取ることに反対してきた。聖書の中で私達の信条としてなによりも重んじているものは、神から与えられた最高の律法である十戒であり、この戒めの一つ一つは、最も明白で、また文字通りの意味を持つものとして取り扱っているのである。これらの戒めの第4条は、主の第七日に何のわざをもしてはならないことを要求しており、また第6条は命をとることを禁止している。そして兵役の義務を行っている間は、これらの戒めを守ることはできないと私達は考えている。私達の慣習は、これらの原則と一致してきた。それゆえに私達の民は兵役に参加することを願わないのである。私達の教団の出版物も何一つ、武器を取ることを擁護したり、奨励したりすることはしないし、徴兵されるとき、私達は原則を犯すより、むしろ300ドルの代替金を払うことで満足するのである。これが普遍的な規定として残るものであり、この提示した問題に対して他の公式な見解はない。」(In time of War,p58)

 南北戦争の間、このような立場は「非戦闘員」と呼ばれていました。しかしこの後、この言葉の意味は数回変わっていくのです。今日、非戦闘員とは、「軍隊の中において武器を持たないこと以外のすべての義務を行う人々」を指しています。しかし、当初この言葉は、「どのような軍の関係機関であっても、軍隊に入ることを拒否すること」を意味していました。私達はこれを「戦闘と兵役に付随するいかなるものにたいしても良心的に反対する」ことと解釈しています。SDAの先駆者たちもこの意味で理解し、この原則を維持し、1865年にこの宣言を繰り返しています。もちろん政府は神によって任命されるのですから、国によって秩序と正義が保持されるということを認めます。ですから、神の民も平和な生活をすることができるのです。また私達は新約聖書で命令されているように、国家権力に対して尊敬と感謝を示し、正義によって守られることを認めています。しかしながら、聖書に示されているように、カエザルの支配に心から屈服する一方、戦争における行為と流血に参加することを強制される時、それは拒否されるべきなのです。

 しかし、第一次世界大戦時、この事に忠実であったヨーロッパの様々な国々の信徒たちは、SDA教会から除名され、迫害を受けました。SDA世界総会はヨーロッパの指導者たちの背信に賛成し、その原則を変更しました。1865年に採択された「戦闘と流血行為への不参加」は拡大解釈されたのです。

 「私達の信仰の確信が、当局によって認められることを要求する。であるがゆえに、私達がこの立場で、国へ仕えることを要求され、そしてそれに応じることは神の戒めへの故意の不服従ではなく、キリストの生涯に例証され、その教えをもって説明された十戒の中に表れているのである。」(セブンスデー・アドベンチストと政府 11p appear)

 今日、SDA教会はその教会員たちにそれぞれの良心に従って、戦闘行為においてさえも、進んで国に仕えるようにと言っています。この宣言は1865年に採択された「すべての戦闘行為に関与することへの拒否」と全く異なっているものなのです。

 1918年、戦争の恐怖が収まった後、様々な国々においてSDAから除名された人々が連絡をとりあいました。1919年にこれらの改革者たちは、本来のアドベンチストの標準を守り、教えるために組織しました。この組織の目的は、教団指導者層と話し合い、彼らの誤りを正すためであって、彼らを妨害するためのものではありませんでした。

 1920年にドイツのフリーデンソーにおいてSDAの責任者たちと除名された人々の話し合いが持たれ、1922年カリフォルニアで開催されるSDA世界総会会議において、改革者たちの請願を聞いてもらえることになりました。しかし、恐るべき過ちを正そうとしたすべての努力は無駄になってしまいました。1922年のSDA世界総会会議において、SDAの指導者層は改革者たちを門前払いにしました。彼らは戦争時、命をかけて神の戒めを守った人々たちの懇請を拒否したのでした。  

 1925年改革運動はアドベンチスト本来の教理を包含した「信仰の原則」を作成しました。1915年に亡くなった神の僕(ホワイト姉妹)の勧告と警告が公に踏みつけられ、捨てられた時、預言された改革はここに成就したのです。この改革者たちの教会こそが最後の「残りの教会」です。なぜならこの教会は、神の戒めを守り、あかしに服従するからです。唯一の安全は神の指標の中にあります。「ただ律法(おきて)と證詞(あかし)とを求むべし彼(かれ)等(ら)のいふところ此(この)言(ことば)にかなはずば晨光(しののめ)あらじ。」(イザヤ8:20・文語訳)

 続く第二次世界大戦によって同じテストがアドベンチストに繰り返されました。しかし、その結果はさらに悪いものとなりました。今日世界中のアドベンチストたちに教団が提言していることは、「我々は、どんな時、どんな場所であっても、その個人的な良心の確信の命じることにしたがって、その国に仕える完全な自由を教会員たちに認める」であります。

 1934年5月SDA教団世界総会はこの原則を以前と同様、繰り返しています。「教会はその教会員たちに個人的な命令をくだしてはならない。人はそれぞれの確信によって選択すべきである」。改革者として、私達はこの僭越(アドベンチストの指導者たちがその教会員たちに神の戒めを犯す自由を与えたこと)に抗議するものです。

 かりに人が主のご要求を離れて、自分で義務の標準を立てる自由があるとすると、人それぞれに合うさまざまの標準ができることとなり、支配権は主のみ手から奪われてしまうことになる。人間の意志が最高権威とされ、高く聖なる神のみ旨―神の被造物に対する愛の目的―は尊ばれず、軽んじられることであろう。

 人々が自分たちの道を選ぶ時はいつでも、神に敵対することになる。彼らは天の原則と戦っているのであるから、天のみ国に入ることはできない。彼らは、神のみこころを無視して、自分たちを、神と人との敵であるサタンの側に置いているのである。」ー祝福の山63ページ

 私達は霊感の言葉や、神がその民に与えられた尊い光に調和しない過ち、怠慢や公の反逆に対して抗議しなければなりません。

 しかし、この抗議は「あなた方よりも私たちが清い」ということを示すためのものではありません。私たちも他と同様に、救い主イエス・キリストの義を切に必要とする者たちだからです。

 キリストは真理を保管する一つの民をこの世に持っておられます。もし、アドベンチストがこの尊い光をおぼろげにし、消してしまうならどんなことが起きるでしょうか。

 誠実なアドベンチストたちは教会の中で改革が必要なことを認めはしますが、分離することは認めたくありませんしかし、分離には二種類あることを考えて見なければなりません。一つは真理からの分離、もう一つは、教会組織からの分離です。神の残りの教会は決して真理から分離してはならないのです。もし教会が真理から分離したのなら、それは神のみ旨ではない分離です。教会が繁栄しようとも、それはただ名目的な教会でしかないのです。このことは過去の歴史においても繰り返されてきたことです。

 戦争に反対した人々はSDAから分離することを望みませんでした。しかし、真理に服従した人々をSDA教会は除名しました。ですからSDA教会こそが真理から分離した教会といえるのです。もし教会に真理が保管されていないのなら、その教会組織はセミの抜け殻のようなもので、生命がありません。もちろん教会は真理を持っていると主張することでしょう。しかし、真理の一部を信じているというだけで真理を持っていると主張することはできないのです。神はその民に現代の真理を与えられました。これは完全な真理です。その真理は人々に神の戒めに服従することを要求しているのです。

 SDA教会はその組織の大きさや、また自分たちの活発な奉仕を示し、自分たちこそが残り教会であると主張するかもしれません。しかし、神はそれらのことによってその教会を是認なさるのではありません。組織や奉仕の偉大さを主張するのなら、カトリック教会こそが残りの教会であると主張できることでしょう。

 神はこの世にあって、一つの教会組織を福音と律法の保管者として召し、この一つの教会組織によって世に最後の警告を与えるように計画されました。その警告とは「神の戒めに服従しなさい」というものです。それは私達がキリストのような品性を持つためであります。ですから公に戒めを犯し、悔い改めない教会を、神は最後の使命を世に伝える器として用いることはおできにならないのです。

 神は一度選ばれた民を捨てられようとなさいません。しかし、イスラエル民族はどのようになったのでしょうか?神はこの最後の時代にSDAという現代のイスラエルともいえる一つの教会を選ばれました。そして神はその教会を愛し導かれました。神は決して彼らを離れようとはされませんでした。しかし、この教会はどうだったのでしょうか。彼らは神の使命者と使命を拒み、信仰の土台を崩し、律法を公に犯して、神から故意に離れてしまったのでした。神はその民を離れようとはされなかったのに、教会は故意に神を離れていったのでした。預言の霊の次の証をお読み下さい。

 「キリストの時代に人類の光と生命が、教会当局によって拒否されたように、それはつづく各時代においても拒否された。キリストがユダヤからしりぞかれた歴史は、幾度もくりかえされた。宗教改革者たちが神のみことばを説いた時、彼らは、国教会から分離する考えはなかった。しかし宗教界の指導者たちが、光に対して寛容な態度を示そうとしなかったので、光を持った人たちは、真理にあこがれている他の階級の人たちをさがさねばならなかった。今日宗教改革者たちに従う者であることを自称している人々の中には、彼らの精神に生きている者が少ない。神のみ声をもとめて耳をかたむけ、真理がどんな形で示されようと、それを受け入れる用意のできている人は少ない。宗教改革者たちの足跡に従う者たちは、神のみことばのはっきりした教えを宣言するために、愛する教会から離れなければならない場合がたびたびある。また光を求めている人たちは、神に服従するために、この同じ教えによってやむなく父祖たちの教会から離れなければならないことが幾度もある。」―各時代の希望上巻285ページ

 アドベンチスト教団の指導者たちは、「1914年から起きた改革運動は偽の預言によるものであり、軍務を拒否したために除名された者は一人もいなかった・・・」と宣言しています。しかし、SDA教団が現代の真理の確かな土台から離れ、忠実な信徒たちを除名したためにこの運動が起きたのは既成の事実なのです。

 ですから、必要不可欠とされていた改革はカトリックにおける改革と同様、アドベンチストの内部で起き、その改革は内部で終わることはできませんでした。

 私たちはアドベンチストの先駆者たちが確立した真理の土台を今も保管し、その真理を決して変えることのできない完全なものとして教えています。最終時代の神の民は完全な真理によって完全な品性を築く者たちなのです。

 私たちは第三天使の使命を信じ、真理に従いたいと望む再臨信徒たちを捜し求めています。

 神は一つの民、一つの教会組織をもっておられます。そこでは神の御霊によって再臨信徒たちに与えられた純粋な真理(SDAの先駆者たちによって据えられた土台)を味わい喜ぶことができます。この教会にあなたも参加し、神の与えてくださった真の愛と義の道を共に歩んでいきましょう。

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