起源と歴史

             Guenther Pietz

              安息日の労働と従軍拒否のためにヒムラ―(※)の命令によって、19歳の時に処刑される。処刑の

             直前、彼は2通の手紙を彼の両親に書いている。以下は1843年8月15日付の手紙の一部である。

             「・・・親愛なるお父さん、お母さん、どうぞ私のために一粒の涙も流さないでください。信仰と

             希望と愛のゆえに…これは私が家を出る時に所持していたもので、今も持っているものです。死刑

             に処せられるからといって、私は自分自身を悲観的な思いにしておくことを許しません。なぜな

             ら、主が私の内に御臨在してくださることを知っているからです。この最期の時にあって、私はこ

             のような心の平安と休息をこれまで得たことがありません。・・・」

              

              ※ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラー(Heinrich Luitpold Himmler, 1900年10月7日~1945

             年5月23日)「ドイツの政治家。ナチスの親衛隊(SS)の第4代親衛隊全国指導者。ナチスの政権掌

             握後、全ドイツ警察長官やヒトラー内閣内務大臣等を歴任し、ドイツの警察権力を掌握した。第二

             次世界大戦中にはヨーロッパのユダヤ人に対してホロコーストを組織的に実行した。ホロコースト

             で殺害されたとされる600万のユダヤ人をはじめとして、ロマ・ポーランド人・カトリック聖職

             者・ロシア人捕虜・エホバの証人・障害者・同性愛者など、諸々の虐殺に対し責任を負う。第二次

             世界大戦終戦時にアメリカ合衆国との講和交渉を試みたが失敗し、捕虜になった後に自殺してい

             る。」-出典:フリー百科事典「ウィキペディア」

 

             Gottlieb Metzner

              真理に忠実であったために彼の就学年齢に達していた四人の子供たちが4年間州当局によって連

             れ去られた。1945年3人の娘は家に戻されたが、一人息子は戻されることはなかった。

             1944年メッツナー兄弟は半年にわたって、エスターウェージェン強制収容所にて迫害に耐えた

             が、釈放後、10月19日再び秘密警察によって収監され処刑された。

 

 

 

 

 

 

 

 

             Gustav Psyrembel

              この兄弟はドイツ軍事裁判によって処刑された。理由は従軍拒否とドイツ国旗に対する忠誠の宣

             誓と敬礼を拒否したためである。1940年3月29日、彼は妻と子供たちに宛てて次の励ましの

             言葉を残している。「主を賛美し感謝します。彼は私の霊と肉を健全に保って下さり、喜びと豊か

             な愛を満たして下さっています。最後の時にも、彼は私を見捨てられることはないでしょう。主の

             ために苦しみ、死ぬのですから、特権とみなします。これは私にとって、悲しみではなく名誉なこ

             とです。」

 

 

 

 

 

 

             Anton Brugger

              1911年4月9日、オーストリア、カプラム(ザルツバーグ)生まれ。1943年、軍務拒否

             のためドイツにて帝国軍事部によって処刑される。

              ここにブルガー兄弟が母親に宛てた手紙の一部がある。「もし私が欲したとしても、私は国旗に

             宣誓することなどできません。何故なら手に武器を取ることを己の義務とさせるような、私のクリ

             スチャンとしての信仰の確信を放棄させる行為を私は許すことができないからです。私はバプテス

             マの時、既に主に誓いを立てていたので、無制限に世の権力に忠誠を誓うことはできません。私は

             主と契約し、人生におけるどんな困難な時にも、いかなる状況下にあっても彼に従い、彼の戒めに

             忠誠を尽くす約束をしたのです。どんな試練、たとえ死ぬことになっても、忠実であるか或いは、

             安易な側を選んで不忠実な者となるか、この二つの選択肢があります。私は神に忠実であることを

             選びます。私は、キリストが私のために犠牲となり私を召してくださったので、永遠の命を与えて

             下さると信じます。」

 

             Stanislav Rohlof

              ルフロフ兄弟はポーランド教会の総理であった。彼は善良な市民として知られ、洋服の商売をし

             ていた。1944年彼は秘密警察によって逮捕され、マウサウセン強制収容所に移送され処刑され

             た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             Johann Hanselmann

              1937年10月2日、彼は州秘密警察に次のような告発で逮捕された。「彼はSDA改革運動

             という宗派公認の牧師である。この宗派は1936年4月29日秘密警察の副所長の命令によって

             レイチのすべての地域において禁止されたものである。イザンハーゲンに本部があるこの宗派は、

             1914年SDAが彼らの信仰の原則に反して、信徒たちを従軍させることを許したために、分離

             した。これら改革運動の主張は、アドベンチストの指導者はこのような許可を信徒たちに与える権

             限はないということであった。」―And Follow Their Faith, compiled by Hans Fleschutz,p.21.

 

 

 

 

 

 

             Alfred Muench

              この兄弟の妻は次のように書き残している。「1939年初頭、夫に召集令状が届いた時、その

             戦いは再開しました。彼は6通もの召集令状を受けていましたが、それをすべて無視していたので

             す。1940年、彼は再逮捕されました。その逮捕の理由はヒトラーの挨拶に参加しなかったとい

             うものでした。2ヶ月にわたる審理の後、彼はデーチャウにある強制収容所に送られました。しか

             し、彼はいつも勇敢でした。1948年、最後まで彼と一緒だったという一人の男性から、彼が餓

             死したということを知らされました。」―And Follow Their Faith,35,36

 

 

 

 

 

 

             Thomas Slachetka

              1944年この兄弟は安息日に働くことを拒否したためにゲシュタボにおいて拷問を受け、逮捕

             された。彼がどんなことをされたのかが以下の文書に記録されている。「有刺鉄線が巻かれたかご

             が彼の上に置かれ、彼はこのかごの下で裸の状態で屈まなければならなかった。他の囚人たちはこ

             のかごの上を飛び越えなければならなかったが、それができたのはほんの数人だけであった。」

             ―And Follow Their Faith,24

              この出来事の直後、彼はグロスローゼン強制収容所に連れて行かれ、51歳で死ぬまで残酷な拷

             問を受けた。

 

 

 

 

 

・・・その他多くの信仰の勇者たちが殉教していった。

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